2006.11.15 Wednesday
スパングリッシュ (DVD)
スパングリッシュ
原題: Spanglish (2004)
2006年1月14日 日本初公開
公式サイト: http://www.sonypictures.jp/movies/spanglish/
INDEC定期上映会2006年10月28日(土)プログラム
ゴウ先生総合評価: A-
画質(ビスタ): A-
音質(ドルビーデジタル5.1ch): A-
英語学習用教材度: A
アダム・サンドラー映画に1800円の価値はあるか?ゴウ先生、常に悩みます。1800円の価値がないとは言いませんが、映画館で見知らぬ人と彼のコメディを一緒に笑うというのがうまく想像できないのです。
それでも気になる存在であることは間違いありません。本作も一度は映画館まで行こうと思ったのですが、時間を作れません(時間を作りません?)でした。
それに、タイトルが示すように、アメリカにおける異文化コミュニケーションを主題にしていることも、英語塾の塾長としては気になります。DVDが出たらば、Gump Theatreで一人でじっくり見てみようと待ち構えていました。
そんな関係で、本作に関しては、通常とは異なり、ある程度の予習がありました。まずは監督がジェームズ・L・ブルックスだったことに嬉しくなりました。ゴウ先生の大好きなヘレン・ハントとジャック・ニコルソンに『恋愛小説家』でアカデミー賞を取らせてあげた監督だからです。当然、サンドラーが、ブルックスの手でニコルソンのような働きをさせてもらえるのではないかと思うではないですか。
恋愛小説家
ところが、本作、期待のサンドラーは脇に控えてしまうのです。存在感の薄い夫・父親役が彼の役目。むしろブルックスが描こうとしたのは、女性の生き方でした。それでも、結果的には、ゴウ先生、そのたくらみの素晴らしさに拍手を送りたい気分になってしまったのでした。
(以下、ネタバレ驀進、ご容赦あれ!)
本作、まずもって注目してもらいたいのが、冒頭。名門プリンストン大学のAdmission Office(入学者選抜事務所)が登場します。送られてきた学部入学用の願書dossier(「ドシエイ」と発音します)の山が映り、添えられたapplicant essay(志願者エッセイ)が本人の声で読み上げられる演出となっているのです。
各志願者のdossierを開くと声がしだすのですが、admission officerは最初の数文を読むだけで、だめなものはポイします。厳しいけれども、留学の世話をしているプロの端くれとしては、当然のことと思って見ています。ちなみに、与えられたエッセイの課題は「あなたに最も影響力のあった人を論じなさい」というものです。
何人かのボツが続いたところで、クリスティーナ・モレノ(シェルビー・ブルース)という女の子のエッセイが読まれます。そして彼女が本作の語り部として最後までストーリーを支えることになるのです。ゴウ先生、この巧妙な映画的仕掛けだけでワクワクしてきました。
そのクリスティーナが選んだ最も影響を受けた人物は、母親フロール・モレノ(パス・ヴェガ)。ところが、そこで語られる話は決して明るい話ではありません。メキシコで生まれたクリスティーナは、幼くして父親が家を出て行ったために、二人は仕方なく生活の糧とよりよい娘の教育環境を求めてアメリカに密入国します。
住んだところは、ロス・アンジェルスのメキシコ人街。6年間その外に出なかったフロールは、英語はまったく話せないままでした。しかし、英語もできず学歴もないメキシコ人の女性が子供を抱えて楽に暮らせるほどアメリカは甘くありません。生活費を求めて、同胞のぬくもりを離れて、アメリカ人社会へと足を踏み入れることにしたのでした。
見つけたのが、クラスキー家の家政婦の仕事。しかも、いままでの給料からすれば破格の収入(週給650ドル!)。フロールがいままで行きたくても行けなかった値段の張るレストランに娘と出かけた気分がよく分ります。
しかし、クラスキー家の仕事は大変でした。言葉が通じないのはもちろんですが、一番辛いのは心が通じ合わないことだったのです。表面上、実に仲のよい家族なのに、それがひとつにまとまりません。メキシコ人的大家族主義を最高のものだと考えるフロールには、理解しがたいことばかりなのです。
その原因は、夫・父親としての男の影の薄さだとゴウ先生は判断しました。父親ジョン(アダム・サンドラー)はLAでいま一番注目されるレストランのオーナー・シェフ。地位も名誉もお金も恵まれています。しかし、家族を仕切るのは、上昇志向の強い妻デボラ(ティア・レオーニ)。いま失業中であるためか、何かに焦っています。そのために、優しいジョンはデボラに振り回される毎日です。
その最大の被害者が、太りすぎた娘バーニー(サラ・スティール)です。ニコラス・ケイジ主演の『ウェザーマン』(レビューは、こちら!)でもそうであったように、年頃の娘が太るというのは家庭が幸せでない証拠です。にこやかで賢いバーニーですが、太っていておまけに歯列矯正器までつけているために、決して魅力的な女の子に見えません。
しかし、デボラはそういう傷つきやすい少女の気持ちを分りません。フロールの娘のクリスティーナの方がやせていて美しいために、バーニーよりもクリスティーナを可愛がるほどです。
ジョンはそういうデボラをたしなめたいのですが、暴走する彼女を止めることが出来ません。セックスをする時は、自分から女性上位になり、自分がオーガズムを感じたら、ジョンの射精を待ちません。ジョギングする時ですら、前に行く人に道を譲れと言わんばかりに“Left! Left !”(左に行って、左よ)と叫びまくる始末です。とても、気の優しいジョンには扱いきれないのです。
まるで、デボラは男になりたいというような態度です。夫になりたいのです。父親になりたいのです。それもとびっきり我が儘な。
その原因には同居する実の母親エヴェリン(クロリス・リーチマン)の存在があります。有名なジャズ・シンガーであったという設定の彼女は、結婚もしたのかどうなのか分りません。少なくともデボラは自分の父親を知らないのです。その場の感情に任せて、恋に落ち、妊娠したのがデボラなのです。複雑な思いが母とデボラの間にもあるのでした。この辺、ブルックスが『愛と追憶の日々』の監督であることを思い出させるところです。
愛と追憶の日々
母親のようにはなりたくない。しかし、母親のようになってしまう。ゆえに、子供の教育には一所懸命でいたい。しかし、やはりエヴェリンのように、デボラもジョンとの生活に満足せずに、不倫の道を選ぶのでした。
男になりたいけれどなれないデボラには、強い男性が必要でした。ジョンのような優しい言いなりになる夫ではなく、自分をぐいぐい引っ張ってくれる人が必要だったのです。強いふりをしているけれども、弱い女なのです。
だからこそ、不倫はするくせに自分からジョンのもとを去る勇気がありません。いまの経済的・社会的に恵まれた環境を捨てる気にはなれないのです。むしろ、ジョンにもっと強くあってほしいと勝手な要求を求めるのです。
それに対して、フロール。彼女も男性っぽいところがありますが、男に頼らない真の強さを備えています。ジョンから言い寄られても、フロールはそれに乗ることはありませんでした。それどころか、デボラの存在がクリスティーナのためにはならないと思えば、待遇のよいクラスキー家の仕事を捨てて出て行くのでした。
男が男としての夫の役割・父の役割を担わない人生を送った二人の妻フロールとデボラ。アメリカ社会において女性が強くなったのではなく、強くならざるを得なかった実情が浮かび上がります。
その意味では、男と女の間の意思の疎通は、スペイン語と英語の垣根を越えた深刻なものなのかもしれません。
本作が終了した後、デボラとジョンが幸せな家庭を演じ続けられるとは思いません。二人のめざすベクトルは相当違うものです。ジョンの気持ちを分ってくれなかったデボラ。強いけれども、寂しい女性です。
そして、クリスティーナの願書エッセイ。それが、クラスキー家を出て1年ほど経ってから書かれたものだと最後になって分ります。担当官は最後まで読み終えてくれました。きっと彼女は、プリンストン大学に合格したことでしょう。しかも、奨学金つきで。
クリスティーナも、母フロールのように、一人で生きていけるほど強い女性になるのかもしれません。でも、フロールもクリスティーナも男性と仲良くやってくれたらよいのですが・・・。
++++++++++
画質(ビスタ): A-
Gump Theatreの120インチ・スクリーン一杯に広がる南カリフォルニアの空気。透明感さえもう少しあれば、最高です。
音質(ドルビーデジタル5.1ch): A-
あざといサウンド・デザインはありませんが、音楽や効果音のつけ方がナチュラルで気に入りました。
英語学習用教材度: A
英語字幕・日本語吹替えつき。さらに豊富な特典映像もついていて、テクストにはもってこいです。しかも、途中ではフロールが英語を必死に覚えようとするシーンも含まれていて、勉強意欲も増してくれることでしょう。めざすは、クリスティーナのような完璧なバイリンガルです。もちろん、クリスティーナーのようなスペイン語と英語ではなく、日本語と英語のバイリンガルであります。
++++++++++
気になるところを、アト・ランダムに。
☆本作のおかげで二人の女優に強烈に惹かれるようになりました。一人は、デボラ役のティア・レオーニ。本作を見る前には『ディック&ジェーン』(レビューは、こちら!)の彼女しか記憶に残っていませんでしたが、それもあくまでジム・キャリーの添え物という印象。最初の予定キャストであったというキャメロン・ディアスだったらもっと面白かっただろうにと思ったくらいです。しかし、本作のデボラはお見事。我が儘で強気でそれでいてお人よしで涙もろいという難しい役目を見事にこなしました。ゴウ先生、おかげでこの後ニコラス・ケイジと共演した『天使のくれた時間』も見たほどです(レビューは、近日掲載予定)。
天使のくれた時間 デラックス版
☆もう一人の女優が、フロール役のパス・ヴェガ。すでに当ブログには『carmen.カルメン』(レビューは、こちら!をアップしていますが、それもこれも本作で彼女の美しさに虜になったからです。実際、本作撮影時点ではほとんど英語を話せなかった彼女、フロールを地で演じたことになります。しかし、それが素晴らしかった。フィルムに映る戸惑いのリアルな表情が、演技にプラスされたオーラとなって現れていました。
☆本作を当英語塾INDECの定期上映会プログラムにしたのですが、参加してくれたとあるINDEC会員が感想文の中で「走るデボラ、歩くフロール」と評してくれ、ゴウ先生はわが意を得た表現だと褒め称えたのでした。本当にそういう映画です。
☆サンドラーが受けに回ったのためでしょう、アメリカではまったくヒットしませんでした。Amazon.comによれば、制作費が8000万ドルで、アメリカ国内の売り上げが4200万ドルという大赤字!やはり、『ロンゲスト・ヤード』(レビューは、こちら!)などの分りやすい映画にはお金の面ではかないません。しかし、そういう結果が十分に予想できるのに本作に出たサンドラーには賞賛を惜しみません。
☆クリスティーナ役のジェルビー・ブルースも可愛いのですが、難しいバーニー役を増量して臨んだというサラ・スティールには頭が下がります。彼女の笑顔は最高でした。
++++++++++
増え続けるアメリカの人口。とうとう3億人も突破しました。その大きな原因はヒスパニック移民によるものです。言葉だけでなく、思想・思考まで違う民族がひとつの国家を築かなければならないのです。いまのアメリカがいかに危ういか、実感できます。
その危うさをひとつの家族に起きるひと夏の事件で描いた本作、ゴウ先生、高く評価させてもらいます。マイナス要因は、アダム・サンドラーのもったいない使い方のみ。ぜひ、ご覧ください。
それでも気になる存在であることは間違いありません。本作も一度は映画館まで行こうと思ったのですが、時間を作れません(時間を作りません?)でした。
それに、タイトルが示すように、アメリカにおける異文化コミュニケーションを主題にしていることも、英語塾の塾長としては気になります。DVDが出たらば、Gump Theatreで一人でじっくり見てみようと待ち構えていました。
そんな関係で、本作に関しては、通常とは異なり、ある程度の予習がありました。まずは監督がジェームズ・L・ブルックスだったことに嬉しくなりました。ゴウ先生の大好きなヘレン・ハントとジャック・ニコルソンに『恋愛小説家』でアカデミー賞を取らせてあげた監督だからです。当然、サンドラーが、ブルックスの手でニコルソンのような働きをさせてもらえるのではないかと思うではないですか。
恋愛小説家
ところが、本作、期待のサンドラーは脇に控えてしまうのです。存在感の薄い夫・父親役が彼の役目。むしろブルックスが描こうとしたのは、女性の生き方でした。それでも、結果的には、ゴウ先生、そのたくらみの素晴らしさに拍手を送りたい気分になってしまったのでした。
(以下、ネタバレ驀進、ご容赦あれ!)
本作、まずもって注目してもらいたいのが、冒頭。名門プリンストン大学のAdmission Office(入学者選抜事務所)が登場します。送られてきた学部入学用の願書dossier(「ドシエイ」と発音します)の山が映り、添えられたapplicant essay(志願者エッセイ)が本人の声で読み上げられる演出となっているのです。
各志願者のdossierを開くと声がしだすのですが、admission officerは最初の数文を読むだけで、だめなものはポイします。厳しいけれども、留学の世話をしているプロの端くれとしては、当然のことと思って見ています。ちなみに、与えられたエッセイの課題は「あなたに最も影響力のあった人を論じなさい」というものです。
何人かのボツが続いたところで、クリスティーナ・モレノ(シェルビー・ブルース)という女の子のエッセイが読まれます。そして彼女が本作の語り部として最後までストーリーを支えることになるのです。ゴウ先生、この巧妙な映画的仕掛けだけでワクワクしてきました。
そのクリスティーナが選んだ最も影響を受けた人物は、母親フロール・モレノ(パス・ヴェガ)。ところが、そこで語られる話は決して明るい話ではありません。メキシコで生まれたクリスティーナは、幼くして父親が家を出て行ったために、二人は仕方なく生活の糧とよりよい娘の教育環境を求めてアメリカに密入国します。
住んだところは、ロス・アンジェルスのメキシコ人街。6年間その外に出なかったフロールは、英語はまったく話せないままでした。しかし、英語もできず学歴もないメキシコ人の女性が子供を抱えて楽に暮らせるほどアメリカは甘くありません。生活費を求めて、同胞のぬくもりを離れて、アメリカ人社会へと足を踏み入れることにしたのでした。
見つけたのが、クラスキー家の家政婦の仕事。しかも、いままでの給料からすれば破格の収入(週給650ドル!)。フロールがいままで行きたくても行けなかった値段の張るレストランに娘と出かけた気分がよく分ります。
しかし、クラスキー家の仕事は大変でした。言葉が通じないのはもちろんですが、一番辛いのは心が通じ合わないことだったのです。表面上、実に仲のよい家族なのに、それがひとつにまとまりません。メキシコ人的大家族主義を最高のものだと考えるフロールには、理解しがたいことばかりなのです。
その原因は、夫・父親としての男の影の薄さだとゴウ先生は判断しました。父親ジョン(アダム・サンドラー)はLAでいま一番注目されるレストランのオーナー・シェフ。地位も名誉もお金も恵まれています。しかし、家族を仕切るのは、上昇志向の強い妻デボラ(ティア・レオーニ)。いま失業中であるためか、何かに焦っています。そのために、優しいジョンはデボラに振り回される毎日です。
その最大の被害者が、太りすぎた娘バーニー(サラ・スティール)です。ニコラス・ケイジ主演の『ウェザーマン』(レビューは、こちら!)でもそうであったように、年頃の娘が太るというのは家庭が幸せでない証拠です。にこやかで賢いバーニーですが、太っていておまけに歯列矯正器までつけているために、決して魅力的な女の子に見えません。
しかし、デボラはそういう傷つきやすい少女の気持ちを分りません。フロールの娘のクリスティーナの方がやせていて美しいために、バーニーよりもクリスティーナを可愛がるほどです。
ジョンはそういうデボラをたしなめたいのですが、暴走する彼女を止めることが出来ません。セックスをする時は、自分から女性上位になり、自分がオーガズムを感じたら、ジョンの射精を待ちません。ジョギングする時ですら、前に行く人に道を譲れと言わんばかりに“Left! Left !”(左に行って、左よ)と叫びまくる始末です。とても、気の優しいジョンには扱いきれないのです。
まるで、デボラは男になりたいというような態度です。夫になりたいのです。父親になりたいのです。それもとびっきり我が儘な。
その原因には同居する実の母親エヴェリン(クロリス・リーチマン)の存在があります。有名なジャズ・シンガーであったという設定の彼女は、結婚もしたのかどうなのか分りません。少なくともデボラは自分の父親を知らないのです。その場の感情に任せて、恋に落ち、妊娠したのがデボラなのです。複雑な思いが母とデボラの間にもあるのでした。この辺、ブルックスが『愛と追憶の日々』の監督であることを思い出させるところです。
愛と追憶の日々
母親のようにはなりたくない。しかし、母親のようになってしまう。ゆえに、子供の教育には一所懸命でいたい。しかし、やはりエヴェリンのように、デボラもジョンとの生活に満足せずに、不倫の道を選ぶのでした。
男になりたいけれどなれないデボラには、強い男性が必要でした。ジョンのような優しい言いなりになる夫ではなく、自分をぐいぐい引っ張ってくれる人が必要だったのです。強いふりをしているけれども、弱い女なのです。
だからこそ、不倫はするくせに自分からジョンのもとを去る勇気がありません。いまの経済的・社会的に恵まれた環境を捨てる気にはなれないのです。むしろ、ジョンにもっと強くあってほしいと勝手な要求を求めるのです。
それに対して、フロール。彼女も男性っぽいところがありますが、男に頼らない真の強さを備えています。ジョンから言い寄られても、フロールはそれに乗ることはありませんでした。それどころか、デボラの存在がクリスティーナのためにはならないと思えば、待遇のよいクラスキー家の仕事を捨てて出て行くのでした。
男が男としての夫の役割・父の役割を担わない人生を送った二人の妻フロールとデボラ。アメリカ社会において女性が強くなったのではなく、強くならざるを得なかった実情が浮かび上がります。
その意味では、男と女の間の意思の疎通は、スペイン語と英語の垣根を越えた深刻なものなのかもしれません。
本作が終了した後、デボラとジョンが幸せな家庭を演じ続けられるとは思いません。二人のめざすベクトルは相当違うものです。ジョンの気持ちを分ってくれなかったデボラ。強いけれども、寂しい女性です。
そして、クリスティーナの願書エッセイ。それが、クラスキー家を出て1年ほど経ってから書かれたものだと最後になって分ります。担当官は最後まで読み終えてくれました。きっと彼女は、プリンストン大学に合格したことでしょう。しかも、奨学金つきで。
クリスティーナも、母フロールのように、一人で生きていけるほど強い女性になるのかもしれません。でも、フロールもクリスティーナも男性と仲良くやってくれたらよいのですが・・・。
++++++++++
画質(ビスタ): A-
Gump Theatreの120インチ・スクリーン一杯に広がる南カリフォルニアの空気。透明感さえもう少しあれば、最高です。
音質(ドルビーデジタル5.1ch): A-
あざといサウンド・デザインはありませんが、音楽や効果音のつけ方がナチュラルで気に入りました。
英語学習用教材度: A
英語字幕・日本語吹替えつき。さらに豊富な特典映像もついていて、テクストにはもってこいです。しかも、途中ではフロールが英語を必死に覚えようとするシーンも含まれていて、勉強意欲も増してくれることでしょう。めざすは、クリスティーナのような完璧なバイリンガルです。もちろん、クリスティーナーのようなスペイン語と英語ではなく、日本語と英語のバイリンガルであります。
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気になるところを、アト・ランダムに。
☆本作のおかげで二人の女優に強烈に惹かれるようになりました。一人は、デボラ役のティア・レオーニ。本作を見る前には『ディック&ジェーン』(レビューは、こちら!)の彼女しか記憶に残っていませんでしたが、それもあくまでジム・キャリーの添え物という印象。最初の予定キャストであったというキャメロン・ディアスだったらもっと面白かっただろうにと思ったくらいです。しかし、本作のデボラはお見事。我が儘で強気でそれでいてお人よしで涙もろいという難しい役目を見事にこなしました。ゴウ先生、おかげでこの後ニコラス・ケイジと共演した『天使のくれた時間』も見たほどです(レビューは、近日掲載予定)。
天使のくれた時間 デラックス版
☆もう一人の女優が、フロール役のパス・ヴェガ。すでに当ブログには『carmen.カルメン』(レビューは、こちら!をアップしていますが、それもこれも本作で彼女の美しさに虜になったからです。実際、本作撮影時点ではほとんど英語を話せなかった彼女、フロールを地で演じたことになります。しかし、それが素晴らしかった。フィルムに映る戸惑いのリアルな表情が、演技にプラスされたオーラとなって現れていました。
☆本作を当英語塾INDECの定期上映会プログラムにしたのですが、参加してくれたとあるINDEC会員が感想文の中で「走るデボラ、歩くフロール」と評してくれ、ゴウ先生はわが意を得た表現だと褒め称えたのでした。本当にそういう映画です。
☆サンドラーが受けに回ったのためでしょう、アメリカではまったくヒットしませんでした。Amazon.comによれば、制作費が8000万ドルで、アメリカ国内の売り上げが4200万ドルという大赤字!やはり、『ロンゲスト・ヤード』(レビューは、こちら!)などの分りやすい映画にはお金の面ではかないません。しかし、そういう結果が十分に予想できるのに本作に出たサンドラーには賞賛を惜しみません。
☆クリスティーナ役のジェルビー・ブルースも可愛いのですが、難しいバーニー役を増量して臨んだというサラ・スティールには頭が下がります。彼女の笑顔は最高でした。
++++++++++
増え続けるアメリカの人口。とうとう3億人も突破しました。その大きな原因はヒスパニック移民によるものです。言葉だけでなく、思想・思考まで違う民族がひとつの国家を築かなければならないのです。いまのアメリカがいかに危ういか、実感できます。
その危うさをひとつの家族に起きるひと夏の事件で描いた本作、ゴウ先生、高く評価させてもらいます。マイナス要因は、アダム・サンドラーのもったいない使い方のみ。ぜひ、ご覧ください。