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秀山祭九月大歌舞伎 夜の部『寺子屋』

 

歌舞伎座 一幕見席 2列目7番 1500円 
2019年9月13日(金)4:30‐5:54
公式サイト:https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/630

 

ゴウ先生総合評価: A

 

秀山祭です。しかも、『寺子屋』の松王丸を中村吉右衛門が演じるのです。吉右衛門ファンとしては、無視できません。2月の『熊谷陣屋』から7か月ぶりの芝居見物です。

 

いうまでもなく、貧乏英語塾長が選ぶのは、一幕見席。歌舞伎を観たことがないものの、誘ったら興味をもった友人と一緒なため、確実に席を確保することをめざし、販売開始10分前の2時に歌舞伎座で待ち合わせをしました。

 

すると、入場番号は、友人が49番で、貧乏英語塾長は50番。座席確保は間違いなしです。それから、友人を大谷図書館、築地場外市場、勝鬨橋に案内して時間をつぶします。

 

4階に上がると、顔なじみの女性係員がいてくれて、1年ぶりになる再会を喜びました。不安障害がひどくて繁華街の銀座に出るのが億劫な数年間、この人の笑顔のおかげで元気をもらえた恩義をおもいだし、短い会話を楽しんだのでした。

 

4時5分すぎ、入場です。大好きな上手の席は取れませんでしたが、下手の通路脇に友人の席も確保でき、まずは不満なしです。

 

☆作品の成立

 

延享3(1746)年大坂竹本座にて初演された、竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作による人形浄瑠璃『菅原伝授手習鑑』が原作。『寺子屋』は、その四段目。

 

☆戦後の上演歴

 

戦後128回目の本興行上演。

松王丸を戦後いちばん演じているのは、当代片岡仁左衛門の16回。続いて、13回の初世松本白鸚、当代白鸚。当代中村吉右衛門は、それに次ぐ11回目。

武部源蔵を最も演じたのは、9回の当代吉右衛門、当代中村梅玉。続いて、7回の五世中村富十郎、6回の十三世仁左衛門、当代仁左衛門、5回の二世尾上松緑、4回の初代吉右衛門・十七世中村勘三郎・当代白鸚・当代幸四郎。

 

☆主な配役

 

菅原伝授手習鑑
寺子屋(てらこや)         

            松王丸
           園生の前
             千代
             戸浪
         涎くり与太郎
            菅秀才
           百姓吾作
           春藤玄蕃
           武部源蔵
 吉右衛門
 福助
 菊之助
 児太郎
 鷹之資
 丑之助
 橘三郎
 又五郎
 幸四郎

 

☆あらすじ

 

舞台は、山城国芹立(せりゅう)の里にある武部源蔵が開く寺子屋。

 

ある日のこと、源蔵(松本幸四郎)は村の庄屋に呼び出され、左大臣藤原時平の家臣春藤玄蕃と松王丸と面会します。ふたりから命じられたのは、菅秀才の首を討つことでした。

ですが、源蔵は、もともとは秀才の父親である右大臣菅丞相の家臣です。丞相が時平の陰謀により流罪となってしまったあと、秀才を密かに匿っており、どうしたものかと悩みます。

とはいえ、時の権力者に逆らうこともできず、かといって丞相を裏切ることも旧家臣として人の道理に反することになります。かくなる上は、身替りの首を差し出すしかないとおもいながら、寺子屋に帰ってくるのでした。

しかし、寺子屋に通ってくる子供たちは、器量よしの秀才とは似ても似つかぬ百姓の子供ばかりです。これでは、別の首を差し出したら、すぐにばれてしまいます。どうしたものかと思っていたところに、その日寺子になった小太郎を見て、この子なら身替りになると喜びます。

というものの、その顛末を女房の戸浪(中村児太郎)に話すにつれ、主君のために身代わりとなる小太郎の悲運が胸に迫り、源蔵も戸浪も悲しみに暮れます。そして、すり替えを見破られたときはふたりとも死のうと約束し、源蔵は「せまじきものは、宮仕え」と嘆息するのでした。

そこへ、藤原時平の家臣春藤玄蕃(中村又五郎)と病気のため駕籠に乗った松王丸(中村吉右衛門)が、大勢の捕手を従えてやってきます。その後ろには、自分たちの子供を秀才と間違えて殺されるのではないかと心配した親たちが迎えに来ています。

秀才の顔を松王丸は知っていますが、玄蕃は知りません。ゆえに、寺子屋の子供たちが秀才ではないかどうか、ひとりずつ玄蕃が松王丸に検分をさせます。すると、8人全員、秀才ではありませんでした。

玄蕃と松王丸は、首桶を源蔵に差し出し、これに秀才の首を入れて来いと命じ、それに応じた奥に引き込んだ源蔵が首桶を抱えて現れます。そこで、松王丸が検分すると、松王丸は秀才に相違ないといい切ります。

役目を終えた松王丸は、病気療養のためといってその場を後にします。玄蕃も、源蔵を褒め称えると、首桶を抱えて捕手たちとともに時平のもとに戻るのでした。

松王丸たちがいなくなって、源蔵と戸浪だけになり、ふたりはその首が秀才のものとばれずによかったと喜び合います。そして、ほっとして「五色の息」を吐いたのでした。

そこへ、小太郎の母千代(尾上菊之助)が戻ってきます。小太郎の居場所を尋ねる千代に、奥にいるとウソをついた源蔵は、背後から千代を斬りかかります。

それをかわした千代は、小太郎を秀才の身替りにするために送り込んだが、役に立ったのかと問い質します。源蔵夫婦が驚く中、松王丸も現れます。

本来の自分に戻った松王丸は、「自分は管丞相に使えた白太夫の息子だが、いまは丞相を陥れた時平に仕えている。ゆえに、丞相の息子の秀才を殺さねばならなくなったときには、仮病を使って辞めさせてもらおうと思ったが、秀才の首を討つまではだめだといわれた。仕方なく、自分の子供の小太郎を身替りにしようと思った。丞相への忠義心の強い源蔵ならば、秀才の首を討つことはなく、小太郎を殺してくれるだろうと信じて、この寺子屋に入れたのだ」と告白します。

これを聞いて千代は泣き出しますが、松王丸は諌めます。松王丸が小太郎の最期を源蔵に尋ねると、ニッコリ笑って首を差し出したと源蔵は答えます。それを聞いた松王丸も、堪えきれずに号泣します。

奥から秀才が現れると、松王丸が合図の笛を吹きます。すると、駕籠の中から秀才の母の園生の前(中村福助)が現れたのです。松王丸と戸浪は白装束の姿になり、野辺の送りをいろは四十七文字を歌いこんだ鎮魂歌で行うのでした……。

 

☆最高の感動までいま一歩

 

悪くない出来です。特に、吉右衛門の松王丸は、絶品そのもの。しかし、全体的に見れば、どこかあっさりとしていて、濃厚さに欠けます。幸四郎・児太郎の源蔵・戸浪夫婦にコクがないからだとしかいえません。吉右衛門を相手にすると、その存在感の軽さが、深い感動を呼び起こさないのでした。

 

幸四郎も児太郎も、やるべきことはやっています。その口跡の鮮やかさやソツのなさは、優れています。しかし、段取りを踏んでいるだけで、主君のために寺入りしたばかりの他人の子供・小太郎を殺さねばならない苦悩が伝わってこないのです。

 

この結果、「せまじきものは、宮仕え」の名セリフも、こちらの心に深く浸透してきません。もっと訴求力のあるものであってほしいものでした。松王丸が首実検をして、秀才の首だといってくれたあとの腰が抜ける演技にしても、どこか作為性を感じ、白けます。幸四郎ならば、もっとリアリティのある源蔵が演じられるとおもうのですが、台本をなぞっているだけのようで、もの足りなさを感じるのです。

 

それは児太郎にもいえます。しばらく見ないうちに格段に演技が上手くなり、発声もすばらしく、かつて見た実父福助の戸浪に迫るものがありました。しかし、まだ追いついていません。その日初めて会った小太郎を殺害する片棒を担ぐことへの慚愧が見えないからです。動きは正確なのですが、それだからこそ、さらさらと流れすぎて、タメがありません。ぐっと息をのませる、そんな戸浪を演じてもらいたいものでした。

 

それでも、魅かれてしまうのは、台本のすばらしさとともに、吉右衛門の重厚さのせいです。秀才を救うために自分の子供を殺されることを悦びと感じなければと自分にいい聞かせる忠義心と父親としてそれを止めたいおもいが、仮病を演じる松王丸の登場に現れます。玄蕃に促されてうんざりしながら、寺子をチェックし、殺されたわが子の首を見て、それを秀才のそれだと断言するときの驚嘆・安堵そして諦念がこちらの心にズドーンと突き刺さるのです。

 

役目を終えたから、病気だから、帰ると玄蕃に告げるときの悲痛さも、ストレートにこちらに伝わります。何もしていないのに、身体を微妙に不自然に動かせることで、松王丸のハラが見て取れるのです。この辺り、幸四郎や児太郎に学んでほしいことです。

 

さらに、再登場のときに源蔵に見せる殺気の凄さも半端ではありません。それは、幸四郎の源蔵が、小太郎と会いたがっている千代を必要とあらば殺さねばならないと考えているのにそれが、いまひとつ明晰ではないのと対照的です。

 

それだからこそ、小太郎が喜んで死んだことを源蔵に告げられて喜ぶ松王丸に心が揺さぶられます。仁左衛門の松王丸を観たことがないので何ともいえませんが、吉右衛門のそれが当代随一のものであることは、間違いないでしょう。

 

菊之助の千代は、なかなか。ですが、個人的には、この人の源蔵を観てみたくなります。松王丸はニンでもガラでもないとおもいますが、源蔵なら、中村梅玉級のすばらしい源蔵がやれそうな気がします。八代目菊五郎となったならば、考えてほしいチャレンジです。

 

鷹之助は、久々。この人には大いに期待しているのですが、涎くりの愚かしいまでのおかしさにはいまひとつ。実父・富十郎のすばらしさをもつ才能だとおもうだけに、精進してほしいと願います。

 

ともあれ、久々の芝居見物は、なかなかのもの。やっぱり、時間を作って足を運ばないといけません。同行した友人も、大喜びしてくれましたし。

 

 

 

| 歌舞伎 | 18:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
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