2016.02.18 Thursday
二月大歌舞伎 夜の部『籠釣瓶花街酔醒』
昨夜、歌舞伎座で『籠釣瓶』を見てきました。素晴らしい舞台でした。先月の『石切梶原』と並んで、歴史に残る名演。中村吉右衛門の充実ぶりがうかがえます。
☆中はガラガラ
仕事をすませて歌舞伎座に着いたのは、5時25分。4階の窓口で一幕見席のチケットを購入したら、入場番号が50番。夜だし、長い上演なので、客の入りはよくないようです。
大好きな上手方面の席は埋まっていましたが、下手側はガラガラ。通路脇で他の見物に干渉されない席を見つけ、気分よく舞台に集中できました。
とはいえ、4階から見下ろすと、1階席から3階席まで空席だらけ。はっきり確認できた3階A席で7割、3階B席は6割という埋まり具合。花道が見えない3階A席の下手側の席には、4人しか座っていないうえ、小さな男の子とお母さんの二人連れは途中で帰ってしまいました。
番組編成も考えるべきでしょうが、歌舞伎座の係員のサービスにも問題があると考えます。ずっと通っている貧乏英語塾長にも不愉快に思うことが最近は多く、歌舞伎座に行くのが億劫に感じるときもあります。同じ思いを持っている人がいてもおかしくなく、リピーターが増えにくくなっているのではないでしょうか。歌舞伎座再開場、3年です。松竹は、社員教育に力を注ぐべきです。
☆主な配役
三世河竹新七 作
籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)
序 幕 吉原仲之町見染の場
二幕目 立花屋見世先の場
大音寺前浪宅の場
三幕目 兵庫屋二階遣手部屋の場
同 廻し部屋の場
同 八ツ橋部屋縁切りの場
大 詰 立花屋二階の場
佐野次郎左衛門 吉右衛門
兵庫屋八ツ橋 菊之助
下男治六 又五郎
兵庫屋九重 梅枝
同 七越 新悟
同 初菊 米吉
遣手お辰 歌女之丞
絹商人丹兵衛 橘三郎
釣鐘権八 彌十郎
立花屋長兵衛 歌六
立花屋女房おきつ 魁春
繁山栄之丞 菊五郎
☆初演
河竹黙阿弥の弟子三世河竹新七によって書かれた八幕からなる世話物狂言。明治21(1888)年5月東京千歳座で初演。
☆上演記録
戦後56回目の本興行公演。
当代中村吉右衛門の佐野次郎左衛門は、1979年6月新橋演舞場が初演。今回で、実父の八世松本幸四郎に並ぶ11回。最多。次いで、初世中村吉右衛門の10回、十七世中村勘三郎の7回、当代松本幸四郎の5回、十八世中村勘三郎の4回。
八ツ橋の場合は、六世中村歌右衛門の27回が断トツ。次いで、当代中村福助の7回、当代坂東玉三郎の5回、四世中村雀右衛門の4回、当代尾上菊五郎の2回。菊之助は、今回が2回目。
☆あらすじ
舞台は、吉原仲之町。
序幕 吉原仲之町見染の場
江戸に商売に来ていた佐野次郎左衛門(中村吉右衛門)と下男治六(中村又五郎)が白倉屋万八という男に案内されて吉原にやってきます。破格の安さで遊ばせると誘われたのです。そこへ、茶屋を経営する立花屋長兵衛(中村歌六)が現れ、素人を騙すなと万八を追い返します。
長兵衛にお礼をいって吉原を後にしようとしたところ、兵庫屋の傾城九重(中村梅枝)の花魁道中が登場します。次郎左衛門たちが見とれていると、さらに豪華な花魁道中を組んだ同じく兵庫屋の傾城八ツ橋(尾上菊之助)が登場します。次郎左衛門は衝撃を受け、ひと目惚れしてしまうのでした。
二幕目 立花屋見世先の場
その後、次郎左衛門は江戸へ来るたびに八ツ橋のもとへ通うようになります。そして、気前のよさのためにその界隈では有名になり、八ツ橋の受けもよく、八ツ橋を身請けしようとしていました。
この話を聞いた、八ツ橋の親代わりである釣鐘権八(坂東彌十郎)というならず者が、金の無心に立花屋に訪れます。しかし、権八が何度もお金を借りては返済しないので、亭主の長兵衛とその女房おきつ(中村魁春)から申し出を断わられ、権八は悪態をついて出て行きます。
この話を聞いた、八ツ橋の親代わりである釣鐘権八(坂東彌十郎)というならず者が、金の無心に立花屋に訪れます。しかし、権八が何度もお金を借りては返済しないので、亭主の長兵衛とその女房おきつ(中村魁春)から申し出を断わられ、権八は悪態をついて出て行きます。
二幕目 大音寺前浪宅の場
場面は変わって、(いまの住所で言うと台東区竜泉1丁目の)大音寺の前にある浪人繁山栄之丞(尾上菊五郎)の家。栄之丞は、八ツ橋が廓勤めをする前からの間夫です。
そこへ、権八がやってきます。借金ができなかった腹いせに、八ツ橋と次郎左衛門を別れさせようという算段です。八ツ橋が栄之丞を見限って次郎左衛門に身請けされると告げ、八ツ橋の不人情をなじります。すると、栄之丞は不安になり、八ツ橋の気持ちを確かめるために兵庫屋へ出向くことにしたのでした。
そこへ、権八がやってきます。借金ができなかった腹いせに、八ツ橋と次郎左衛門を別れさせようという算段です。八ツ橋が栄之丞を見限って次郎左衛門に身請けされると告げ、八ツ橋の不人情をなじります。すると、栄之丞は不安になり、八ツ橋の気持ちを確かめるために兵庫屋へ出向くことにしたのでした。
三幕目 兵庫屋二階遣手部屋の場
次郎左衛門が兵庫屋に絹商人仲間の丹兵衛(嵐橘三郎)たちを連れてやってきます。傾城たちから挨拶を受けて、次郎左衛門は得意顔です。
三幕目 廻し部屋の場
そこへ、栄之丞と権八が現れ、八ツ橋を別室で詰問します。すると、身請けはまだ承諾していないという返事。栄之丞が、今夜の座敷で次郎左衛門と縁を切るかそれとも自分と別れるかを選べと迫ると、悩みぬいた八ツ橋は栄之丞を取ることにします。
三幕目 八ツ橋部屋縁切りの場
次郎左衛門の座敷は盛り上がっていて、八ツ橋の登場を待っています。そこへ暗い顔をした八ツ橋が現れ、いきなり次郎左衛門の顔を見るのも嫌になったと別れ話を切り出します。
人前で延々と次郎左衛門をなじる八ツ橋に、理由も分からず恥をかかされ次郎左衛門はショックを受けます。縁切りの再考を八ツ橋に迫りますが、けんもほろろ。次郎左衛門は、「そりゃ、あんまりそでなかろうぜ」と叫んで、兵庫屋からトボトボと帰るのでした。
人前で延々と次郎左衛門をなじる八ツ橋に、理由も分からず恥をかかされ次郎左衛門はショックを受けます。縁切りの再考を八ツ橋に迫りますが、けんもほろろ。次郎左衛門は、「そりゃ、あんまりそでなかろうぜ」と叫んで、兵庫屋からトボトボと帰るのでした。
大詰 立花屋二階の場
それから四ヶ月。次郎左衛門が久々に兵庫屋を訪れます。八ツ橋が謝りに行くと、次郎左衛門はこれを初会としてまた遊んでくれと頼みます。その言葉に、八ツ橋を始め、兵庫屋関係者は大喜びです。
しかし、次郎左衛門の本心は別にあります。八ツ橋とふたりだけで話をさせてくれと人払いをすると、次郎左衛門はいきなり名刀籠釣瓶を取り出し、八ツ橋を一刀両断するのでした……。
☆隙のない完璧な舞台
冒頭、場内の照明がすべて落とされ真っ暗になって1分、舞台と場内に灯りがともると、そこは吉原・仲之町。この憎い演出が芝居見物の醍醐味であり、あっという間にタイムトリップしてしまいます。そして、花道から吉右衛門が又五郎と登場すると、それだけでボルテージが上がるという演出です。
5年前に新橋演舞場で、吉右衛門が次郎左衛門を演じるほぼ通しの『籠釣瓶』を見ましたが、ここにいたるまでの発端・序幕・二幕目に1時間とそのあとの幕間に30分が要され、間延びした印象を受けました。
それから比べると、この「いきなり感」は快感。何でも通しでなければならないというのは間違いで、伝統を受け継ぎつつも、劇的効果を高めるためなら、こうした脚本の刈り込みは絶対に必要だと痛感した次第です。
さて、本公演の大成功は、次郎左衛門と八ツ橋の関係にフォーカスを当てたことはありますが、それだけではありません(それだけなら、過去の公演のほとんどが、2012年の菊五郎が次郎左衛門を演じたものを含めて、すべてそうなのですから)。
何よりも、吉右衛門と菊之助を始めとした役者衆がすべて素晴らしいのです。これだけ隙のない舞台は、なかなかあるものではありません。圧倒されました。
何といっても、最大の功績者は、吉右衛門です。
花道から舞台に上がるときの「田舎っぺ」姿だけで、見惚れてしまいます。力みのない自然体で、初めて吉原へ来た上州の田舎者になりきっています。
この田舎っぺぶりが完璧であるために、花魁道中で八ツ橋がほほ笑むと、それが自分に対してなされたものだと誤解するのが、ごく当然に思え、緊迫感が漂うのです。
ちなみに、花魁がほほ笑んでいるのは、自分の得意客が上がっている茶屋に向けてであり、座敷に上がったこともない次郎左衛門ではありません。ですが、たまたま微笑の方向が同じだったために、次郎左衛門は自意識過剰な人ではないでしょうが、自分に対して気があるかもと思ってしまったのです。偶然が生み出した不幸です。
その点、後述するように、菊之助の微笑も完璧で、次郎左衛門には自分に向けてと思わせつつも、見物にはどちらとも取れないようにしています。本作のことを知り抜いた人にも満足を与える八ツ橋ぶりです。
吉右衛門に戻ると、花道を引っ込む八ツ橋を目で追って、舞台中央で、ふぬけのように口を半開きにし、ぼーっとしている姿とそのあと両腕を組んで膝をつき「宿へ行くのが……いやになった」という嘆息まじりの発声が、商売一筋に生きてきた真面目な次郎左衛門の初めての恋をストレートに表現しており、大げさな演技でもないのに、強烈な印象を残します。
今回の吉右衛門の凄みは、こうしたさりげない仕草に大変な意味を感じられます。役の性根をつかまえて、ハラができているからです。たまりません。
その意味では、この場面の治六の又五郎の行儀のよさも、立派。主人を立てる控えめさが、のちの三幕目の伏線になっています。見ごたえある序幕です。
そうして迎える縁切りの場。八ツ橋からの一方的な身請け破棄の申し出に座敷の中で恥をかかされた次郎左衛門が「おいらん、そりゃ、あんまりそでなかろうぜ」と呪う場面です。
それまで、八ツ橋の無体な悪口に耐えてきた次郎左衛門が、いまになって振るくらいなら「初手」に断っておいてくれとどもりながら苦渋の発言をするのですが、この発言が、吉右衛門の場合、静かで重苦しくないのです。
つまり、吉右衛門の次郎左衛門は、この時点では八ツ橋への復讐など何も考えておらず、ただただ八ツ橋への未練が先立ち、再び心変わりをしてくれることを期待しているのです。だからこそ、下手に出て静かに語ります。
このいじらしさが、見物の涙腺を緩めてしまうのです。どうかすれば、怒りを前面に出してもよさそうに思う場面ですが、そうしない。しかも、そのほうがリアリティがより増すのですから、脱帽です。
この場面、脚本もよくできていて、次郎左衛門の発言の前に、治六が代わりに八ツ橋をなじりますし、発言後も九重が八ツ橋の真意を確かめます。こういう段階が踏まれる以上、次郎左衛門までもがエキセントリックにわめき散らしては舞台は台無しです。
最後、次郎左衛門が「わしゃすっぱりあきらめました」と弱々しくつぶやき、「ふられて帰る果報者とは、ハハハハハ、わしらのことでございましょうよ」と続け、九重が「どうか必ずこの後も、来てくださらんと気にかかりますよ」という場面、次郎左衛門の精一杯の強がりが胸に響きます。
おきつに対して「おかあさん、長々ご厄介になりました」といって、「ありがとうございました」を3回繰り返し、渡された煙草入れを手に、おこついて倒れる幕切れ。善人・次郎左衛門のこの姿を見たら、大詰にとんでもない凶事が待っているとは思えません。この、見物に先の展開を予測させない、予定調和を断ち切る吉右衛門の名演には恐れ入ります。
そして、4か月後、籠釣瓶を手に次郎左衛門は兵庫屋へ戻ってきます。八ツ橋への憎しみをすべて覆い隠して、いつもの穏やかな表情です。しかし、空気が違います。「何をしたいのだ、次郎左衛門」と舞台上の吉右衛門に詰問したくなるほどです。
いままでの紳士ぶりを脱ぎ捨て、「ああいや、この世の別れじゃ、呑んでくりゃれ」とドスの利いた声で八ツ橋に酒を強要するあたり、舞台の緊張度は最高に達します。
刃一閃。八ツ橋とともに、灯りをもってきた下女をも右手一本で斬り捨て、「籠釣瓶は……切れるなあ」で幕。いやはや、最後の5分ですべてを無に帰してしまう次郎左衛門を演じた吉右衛門の迫力には、遠く4階席でも身震いしてしまいました。
おそらく、4か月間、次郎左衛門は自問自答し続けたのでしょう。八ツ橋を切り捨てるかどうか、を。もちろん、そんなことをすれば、自分とて殺されるのは間違いないこと。しかし、どうしてもそうせざるを得なかった。それは、次郎左衛門の八ツ橋への想いの強さの紛うことなき証拠であるわけです。
その次郎左衛門の苦悩を、吉右衛門はきちんと正座していたのを八ツ橋がくるとそれを横に崩して八ツ橋を見るという型で示します。その不気味な無作法の気持ち悪さたるや半端ありません。それまでがきちんとした次郎左衛門でしたから、それが崩れた瞬間の異形が大きな衝撃を与えるのです。
この舞台を見ると、この狂言が、シェークスピア悲劇にも負けないものすごい戯曲であると思えてきます。すごいものです。
菊之助の八ツ橋は、その花魁道中の微笑から、最後の斬られてのけぞって死に至るまで、これまた完璧です。
たとえば、花道前で微笑する場面、いったん右に軽く首を振って、つまり下手側の店のほうを軽く確認して、左側つまり上手の店に微笑する。そのときに、次郎左衛門がその視線の中にいたのが次郎左衛門と八ツ橋の悲劇の始まりなのですが、それを納得させる美しさときめ細かい演技プランがそこにあります。
縁切りの場でも、あの美しい声と滑舌のよいセリフが気持ちよく決まります。「傾城」という言葉の重みに込められた男の運命を変えるパワーが、今回の菊之助にはあります。
福助が病気治療中で復帰が望めない中、五代目雀右衛門がどこまで頑張ってくれるかわかりませんが、菊之助の八ツ橋は玉三郎を超えたものではないかと考えてしまうのでした。
脇役も、光ります。
菊五郎の栄之丞の若々しさには、びっくり。何なのでしょう、この声の張りは。確かに、白塗りの顔には老けを感じるのですが、声を聴くと、20代。これなら八ツ橋が惚れるのも無理はないという説得力があります。
しかも、悪人面していないのが、素晴らしい。権八の口車に乗せられているだけの単純な男ではあるのですが、権八とぐるというほどの悪人には見えず、ただ八ツ橋のことが好きでたまらないという風情が漂うのです。2回目の栄之丞ですが、中村梅玉、坂東三津五郎と見てきましたが、当代最高の栄之丞ではないかと高く評価します。
歌六の貫目には、この人の充実ぶりがうかがえます。後半長兵衛は登場せずに、おきつがすべて肩代わりする演出ですが、ずっと見たいものでした。
魁春のおきつも、手の中に入った役。茶屋の女将とは、かくたるものであろうという説得力が抜群です。
彌十郎の権八の憎らしさも、格別。この人、善人もよいのですが、悪党をやるとより冴えます。
そして、特筆したいのが、梅枝のすばらしさ。2回目の九重とはいえ、次郎左衛門を慰め、八ツ橋を諭す重要な役回りを絶妙にこなしています。あの美声と巧みなセリフ回しにうっとりとしてしまいました。梅枝の八ツ橋も、いずれ見てみたいものです。
歌舞伎ファン、必見。強くオススメします!